ケラのこと   ベルリン日記 

演劇ぶっく社「Dramatrix '91 エンゲキ新種族の逆襲」より
ベルリン日記 [文]ケラリーノ・サンドロヴィッチ

※「Dramatrix '91」とは、今は無き渋谷シードホールにて1991年に行われた演劇フェスみたいなもの。
健康は「SUNDAY AFTERNOON」で参加。この日記は手書き文字で掲載されている。1ヶ所読み取れず。


・1991.10.1.

 とうとう一睡も出来ずに朝6時に家を出て成田へ向う。恵比寿駅で偶然、遊◎機械/全自動シアターの制作をやっている梅田潤一さんに会う。公演が近いので徹夜続きなのだと言う、その息が酒臭い。遊◎機械の方々とはよくバッタリ出くわすのだが、いつも決って時刻は明け方だ。恵比寿には花月という、なかなか美味いラーメン屋があって、高泉淳子さんや白井晃さんはよくそこへ行くらしい。私は一度、赤い顔をして花月でラーメンを食べていたら、突如林家ペー&パー子夫妻がマイクを持ってこちらへやってきて、まぬけな顔を11PMで放送されてしまった経験の持ち主ではあるけれど、本稿のタイトルは「私の失敗談」でもなければ「私の出会った有名人」といったものでもなく、ましてや「遊◎機械/全自動シアターは眠らない」でもないので、私はいつまでも東京にうろうろしているワケにはいかないのだった。

 AM9:40の便でソウル経由、フランクフルトへと発つ。

 ソウルで乗り換えてから、ひたすら飛行機に乗り続ける。機内で上映された「愛が壊れる時」は最低の映画だったけれど、ジュリア・ロバーツは魅力的だった。

 日本に中途で投げ出してきた仕事のことを考えていたらまるで眠れない。みろ、これが山羊座のA型だ。

 今回の渡独の目的はレコーディング。健康の役者でもあるみのすけがドラマー、楽器のできない私がヴォーカルを務める新ユニットLONG VACATIONのファースト・アルバムのレコーディングだ。録音場所のハンザ・スタジオはデビッド・ボウイをはじめ、アンナ・ドミノ、デヴィッド・バーン、ヒカシュー、U2等の名作を生んだワリにひどく汚ないスタジオだ。(私は昨年6月に1度見学に行ったことがある。)我々の録音する第2スタジオは、ロンバケを最後に閉鎖されるらしい。汚ないから無理もないけど。

 同行しているのはみのすけ以外にキーボーディストの中野テルヲ、ゲスト・ベーシストの中村“ムー”哲夫、同じくゲスト・ギタリストの渡辺久男、さらにコーディネーターとしてヒカシューの坂出雅海氏と、カメラマンの久保山努氏。途中からメイク・アッパーとして犬山犬子(健康)がかけつけることになっている。

 今回のアルバムの発売元はまだまったく見通しすらたっておらず、果してメジャーからリリースできるかどうかも怪しい状態だ。とりあえず12曲分のマスター・テープと2曲分のビデオ・クリップをベルリンで制作する。それ以外は何にも決っていないので、それじゃあ一体今回のレコーディングの為に借金しまくった一千数百万はどうやって返済するのかと言えば、もちろんそんなことも知ったこっちゃないのだ。とゆーよーなことを考えていたらいつの間にか眠っていた。目覚ればフランクフルトだ。ここから国内便に乗り換えて約1時間。ようやくベルリンにたどり着いた時には早くも日付けが変わろうとしていた。

・10.2.

 唯一のオフの日がいきなりやってきた。私は休日の過ごし方がとてつもなくヘタな人間だ。皆は街でショッピングしていたらしいが、私はホテルの近所のイタリアン・レストランで終日ボーッとしていた。

 昨年来た時は、壁こそ壊されていたものの、まだ東西統一される前だった。通貨も統一されておらず、混沌としていた街にも、今は落ち着いた空気が漂っている。少しつまらないような気もする。

・10.3.

 レコーディング初日。スタジオ入りの前に「裸の銃を持つ男21/2」を観る。ちょっとわかりやすくしすぎの感はあるが、前作よりさらにしわの目立つレスリー・ニールセンとプリシラ・プレスリーの、じじぃとばばぁのクセして体を使ってくだらないことをやる姿勢には感心。いくつかの秀逸なギャグもあって、晴れ晴れとした気分でスタジオ入り。レコーディングは快調なスタートを切った。

・10.4.

 日本へ帰りたい。どうしてこの国はこうも食べ物がまずいのか。なにしろ、かなりうまいものでもまずいのだから大変です。きっとドイツ人達は赤ん坊の頃からまずいものを食い、まずいもので成長し、まずいものをうまいものだと思い込んで死んでゆくのです。つまりアレだ、だまされっぱなしだ。

 レコーディングの方はドラムの抜けが良くて気持ち良い。

 プラスマイナス0といったところか。

・10.5.

 ドイツ(こちら)で済ませなければならないことはレコーディングやビデオ撮影以外にもあって、それは例えば健康の12月公演の台本執筆だ。おかげさまでまだ1枚も書いていません。稽古は日本に帰った翌々日からだから、少なくともそれまでに原稿用紙20枚位は書いていきたいものだ。でもまずその前に、レコーディングする曲の歌詞が出来てないのでした。

・10.6.

 東ベルリンの喫茶店で、中野テルヲが、肩の筋肉が鉄床のように盛り上がったアル中男に刺されそうになった。フラフラとよろけながら近づいて来たと思ったら突如ジャック・ナイフを突き出したのだ。私は頂度その時店に入って来たところで、何が何だかわからぬまま騒然となった店内に立ちすくんでいた。どうやら、中野が着ていたジャンパーの色が赤だったことが男の気にさわったらしい。■■(←読み取れず)しばらくの間、中野へのツッコミは「刺しちゃうよ」になる予定。

・10.7.

 いくらドイツ人が日本語を理解出来ぬからといって、ブランデンブルグ門の前で大声で「マンコチンコマーチ」を唄う、といったようなみのすけの行動はちょっとどうかと思う。

・10.8.

 レコーディングは順調に進んでいる、とは言い難い。ドイツ人は働かない人種で、22時になるとエンジニアのマテアスはとっとと帰ってしまう。残された我々はアシスタントのアレックスと共に深夜まで作業を続行するワケだが、このアレックスという奴がまったくのダメ人間。録音したものを消すのが得意なこの21歳のドイツ青年には、おそらくビデオ・クリップに出演してもらうことになると思うので、皆さん見てやってください。仕方がないので我々はチョロチョロとレコーディングを進めていきながら、アレックスに出鱈目な日本語を教えるのです。

・10.9.

 初めて街でプライベートの買物をする。ピエール・カルダンの写真集と何枚かの古い映画のポスター、クラフトワークのコンサートチケット。ビム・ベンダースやテリー・ギリアムの新作も間もなく公開されるらしい。なんとか観て帰りたい。

・10.10.

 東京からFAXで、今回のパンフの写真撮影を横浜の外人墓地で行うことが決定したとのこと。現場にいられないのが残念。今週から毎週土曜日の20時からニッポン放送で私と犬山がパーソナリティーを務める番組も放送されるのだが、それも聴けない。宮沢りえがヌードになったらしいが、それも見れないのでせめてFAXで送ってくれないかと言うと、返事すらなかった。みそ汁が飲みたい。

・10.11.

 日本へ帰りたいのに、レコーディング終了後の27日に渡仏を決定したのは私です。でも、フランスへはまったくのアソビで行くので気楽なのです。

・10.12.

 ダンス・ベルリンという、いわゆるアンダーグラウンドで活動しているバレエ団の公演を観る。劇場は下北沢の本多劇場の間口を広げて客席の縦を2/3にしたような小ザッパリした所で、アングラといえどもりっぱに興業しているという感じである。客席上手最前列にはパーカッションやらキーボードやらが並んでいて、リアルタイムでこれを巧みに演奏するプレイヤーが一人いる。バレリーナは五名で、誰もたいして上手くはないのだが、奇妙な振り付けのオリジナリティーと、テープ演奏でない為に生じる張りつめた緊張感が刺激的だった。5名のバレリーナのうちの1人はアレックスの知り合いだそうで、もしかしたら彼女もビデオ・クリップに出演してくれるかもしれない。

・10.13.

 ずっとレコーディングのことを書いていないのは、そんなことを書いたところでなんてことないからです。レコーディングというのは実に地味な作業で、今日もその地味さ加減は変化ありませんでした。

・10.14.

 もうひとつの地味な作業、「SUNDAY AFTERNOON」の台本執筆に、私は今日ついに着手致しました。原稿用紙2枚と半分も書いたのだからたいしたものです。

 あと2ヶ月後には、いやおうなしに幕は開くのだと思うと、ほんの少しだけ緊張できます。でも、その緊張はほんの少しなのです。一週間前に台本が未完成の場合、私はかなり緊張します。緊張してワケのわからない舞を舞ったりします。今のところ、舞まではまだまだです。

 10月のベルリンはかなり寒いです。日本の12月位の気温だといいます。今年、初めてクリスマスに芝居をやります。雪なんか降ってくれるとバッチリだ、と思います。


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